五月幟は、その家に男の子が生まれたときに天の神に告げて、子どもの成長を祝うために掲げるものです。
その際には、両家の家紋を入れるのが一般的となっています。武者絵幟や節句幟などの名称で呼ばれることもあります。
昔は医療技術が発達していなかったこともあり、幼くして亡くなってしまうことも珍しくありませんでした。
そのような時代の中で子供がすくすくと成長することを願って、五月幟が掲げられてきたのです。
五月幟を掲げる時期は、5月5日です。5月5日は、端午の節句と呼ばれる日です。
無病息災を願う子どもの日として知られています。
子どもの日といったら、鯉のぼりをイメージされる人も多いのではないでしょうか。
端午の節句のこいのぼりは、中国から伝わったのだといわれています。
中国の登竜門の故事から着想を得たのがきっかけとなったといわれているのです。
日本では江戸時代頃から、このような風習が広まっていきました。
昔は紙製のこいのぼりが掲げられていましたが、大正時代頃からは
布製の物が広まっていったといわれています。
現代では、スペースなどの問題もあり、こいのぼりを掲げる家はあまり見かけなくなりました。
都会のマンションのベランダでは、おもちゃのようなコンパクトサイズのこいのぼりが掲げられることもあります。
島津忠久を家祖とする島津家では、5月5日の時期にこの五月幟を代々掲げてきました。
どうして長い年代にわたって五月幟を掲げてきたのかと不思議に思った方もいるかもしれません。
その理由は、神様を家にお招きするための目印だといわれています。
男の子が生まれたことを神様に知らせて家に迎えるために、わざと目立つように高く掲げてきたのです。
そのため、長さが約13メートルもあるのです。島津家の家紋となっている丸十紋が2本、
そして桐紋が2本入っているのが特徴です。
そのほかに、昇り竜や降り竜が各1本ずつ入っています。
遠くからでもはっきりとわかるような見栄えがするデザインとなっています。
さらに、五色の吹流し1本が加わります。合計で7本が飾られるのです。
このような伝統は、日本の文化や歴史を伝える上でも非常に重要なものです。
そして、子どもの成長、そして子供の守護を祈る思いというのは、いつの時代でも変わりません。
こいのぼりや五月幟にはそんな親や親せきたちの思いが強く込められているのです。
そして、その思いが先祖代々にわたって受けつがれてきました。
このような日本の伝統文化について興味を持った方は、色々と調べてみるとよいでしょう。